【痕跡】下河原線跡に行ってきた 多摩川の砂利から競馬場から東芝まで
念願の初訪問
先月の武蔵野競技場線に続く、中央線系廃線を訪問しました。超がつくほど有名な廃線跡。初訪問です。
東芝ナイズなまち北府中
ご厚意により東芝様から土地を借りて道路を作っていますという行政の看板がありました。駅周辺の土地を貸しているようです。町名にもなっていますし、引き込み線あったし、上の下河原線の説明板にもあるように、戦時中は東芝の工場と国分寺間を結ぶ路線があったし、1968年12月に起きた3億円事件。東芝府中のボーナスが強奪される事件だったし、とにかく東芝なまち、北府中です。
↑逆方向、南側を望む。右奥に見える整備された歩道は東芝が提供した土地に造成したとの看板があった↑
東京屈指の鉄道遺構感
北府中から南へ歩くこと10分あまり。下河原緑道と名を変えた遺構に出会うことができます。武蔵野線沿いに一直線に南下し、府中本町の手前で大きく東にカーブ。東京競馬場方面に向かいます。
ところどころレールや、「工」マークの杭が残っており、廃線感を強めに感じられます。
砂利を運んだ明治・大正時代、勝つためはと労働に励んだ工場労働者を運んだ戦中期、そして一攫千金の夢と小指だけ爪を伸ばしたおじさんたちを乗せた戦後期、様々な思いを乗せた車両が今にも迫ってくるような感覚を得られます。
お近くの方、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。