【痕跡】目黒元競馬場の競馬場感を体験してきた
東京の競馬場といえば、府中の東京競馬場か、大井競馬場ですね。ところが、昭和初期まで、あの目黒にもあったのです。その遺構が意外な形で残っています。
競馬場はどこに
目黒通りと山手通りの交差点、大鳥神社や目黒不動尊のあるエリア。中目黒駅からであれば、山手通りを南下して25分ほど、目黒駅からであれば、目黒通りを西に15分ほどでのところです。
東急バスの停留所名に名残があります。『元競馬場』。そのままです。
遺構は何?
遺構はズバリ、コースの跡です。
地図をどうぞ。左が現在(地理院地図)、右が明治の終わり頃(明治39-42年)です。見事にコースの跡が残っているのです!
現在 明治の終わり頃
(出典:東京時層地図iPhone版ver1.4.0)
実際に行ってみた
現地はこんな感じでした。緩やかに左にカーブしているのがわかりますか。地図写真の青丸から右の方(方角としては北)を撮影しています。
コース跡の大部分を歩きましたが、ただ通っただけでは、ここがコースの跡だとは気づかないです。道路の幅も周囲の路地と変わらない。
しかし、確実にコースだ。ここをサラブレッドが走っていたかと思うと、ワクワクした気持ちになります。思わず小走りになる。
緩やかなカーブを描く
競馬場の設置と移転の経緯
目黒区のホームページ*1によると、開設当時からかなりの賑わいを見せていたようです。清国の大使が観覧した記録も。競走馬の中には、”フドウ”や”ヤクモ”といった目黒にちなむ名前もあったんですね。
しかし、東京近郊の急速な宅地化の波に抗うことはできず、明治40年に開設された目黒競馬場は昭和8年に府中へ移転。これが現在の東京競馬場になっています。
昭和の初期まで、目黒はまだギリギリ競馬場が似合うような郊外だったんだなと、いうしみじみ感じられるそんな痕跡です。
目黒通り、元競馬場バス停の近くにひっそりと佇む元競馬場の碑
*1:目黒区ホームページ: